自然を愛でて生きてきた日本人が花について初めて書き残したのは8世紀ころに書かれた「万葉集」でした。これは日本の詩を集めた最古の詩集で、花や自然について詠まれた歌が多く載っています。文学だけではなく、美術品や着物、工芸品の模様としても植物が多く取り入れられました。
仏様への供物として発祥したと言われる花を飾る文化は、15世紀頃にいけばなという形で体系化され、現在にまで脈々と受け継がれています。
日本人の花の楽しみ方は、元々は野原から野生の花を摘んで身近に愛でるだけでしたが、中国から庭園文化が伝わると、徐々に人の手で美しい花を栽培して楽しむ文化が始まりました。
日本に於いても花を楽しむ文化は長く社会の特権階級のみのものでしたが、社会の騒乱が収まり、政治が安定した江戸時代(西暦1603年~1868年)からは庶民にも花を育て愛する余裕が生まれ、花を愛して育てる文化は社会全体の日本の特徴となりました。それが現代の日本にも続いているのです。
日本が世界をリードしてきた育種品目は、国際園芸博覧会のコンテストで高く評価されています。高評価のポイントは、日本でしか生産されていない品種があること、生産者のきめ細やかな栽培技術で品種の特性を最大限に活かした花形・花色が発揮されていること、また、肥培管理が的確で切り花の蕾でも十分開花すること等が上げられます。
日本から海外への輸出が多い切り花の主な品目をみると、茎が40cm以上と長く、花弁も大きなスイートピー、茎の長さが60cm以上もあり、花弁も大きなグロリオサ、品種も多様で日持ちのよい豪華な大輪八重咲のトルコギキョウ、日本でしか生産されていないラナンキュラス等があります。
日本は、花き市場(卸・仲卸業)が全国的に整備されており、少量・多品種の注文でも迅速に輸出対応することが可能です。
また、盆栽・植木は伝統的な技術を有する職人が、芸術的な作品に仕立てており、EU諸国では、盆栽等のブームが世代を超えて広がっています。
更に、日本の優れた育種技術で品種改良されたヒマワリ、トルコギキョウ、ストック等の切り花やペチュニア、バンジー等の苗物は、世界における流通種苗の主要部分を占めています。
日本の花き生産者は、顧客二-ズにきめ細かく応えるため、地域の気象条件に適した栽培技術の創意工夫、多様な品種からの選抜・選定や品種改良を行い、他の生産者との差別化を図ることに日々努力しています。
また、日本では、花きの新品種のコンテストや品評会等か全国や都道府県ごとに盛んに開催されています。その結果、花きの育種は、稲苗会社や公立の試験研究機関に加えて1000人以上の個人育種家も行っており、2000品目以上40000品種以上の商業的な生産・流通が行われており、毎年2000品種以上の新品種が導入される世界に類をみない国となっています。
さらに、公立の花き研究所等では、バイオテクノロジーの活用、放射綿照射による突然変異、遺伝子組み換え技術等高度な育種技術で新たな育種開発力の強化に努めています。